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好評 お義父さんの本日の政治解説 俳句つき

2013年03月28日

◎区割り理想主義は政治を壊す
民主は0増5減から逃げるな
 広島高裁の無効判決を即時に「恣意的な突出判決」と書いて孤軍奮闘しようと思っていたら、百万の援軍が来た。読売が27日付社説で無効判決を「無責任」、即時無効判決を「乱暴すぎる」と真っ向から批判した。さすがにナベツネ王国だけあって、バランスのある判断をする。そもそもマスコミの裁判所担当は社会部であり、社会部は「政治家は悪」の思い込みが激しく、逆に裁判官の声は「天の声」と無批判に押し頂き崇拝する習癖がある。だから編集局長が愚鈍だと社会部席巻の紙面となる。ほとんどの新聞・テレビがこの傾向を見せたが、さすがに読売は平衡感覚がある。
 自民党からも判決を下した二人の裁判官に対して「時々おかしな判断をする種族だから」という声が漏れ聞こえる。たしかに、裁判官は時に“法匪”となる傾向がある。法匪とは法律を詭弁的に解釈して、自分に都合のいい結果を得ようとする者だ。裁判所も一時これを反省して、マスコミに判事を「研修」に出したことがあった。しかしおかしな判断の「種族」が違憲判決を出した14人中2人もいることは、一般社会のおかしな人の割合より格段に高い。困ったものだ。
 最大の注目点は14の違憲判決の中で1票の格差について何倍までが合憲かときっちり指摘できたケースがない事だ。うやむやのままどんぶり勘定で判断を出せることだろうか。先に指摘したように76年と85年の最高裁の違憲判決では格差が4倍から6倍もあったのに、「無効」判決はなかった。司法は国権の最高機関たる国会に対して抑制的であったのだ。「100万の援軍」には山梨県知事・横内正明も参加してくれた。法務副大臣の経験もある横内は「地方は人材を育成して大都市に送っている。大都市が存続するためにも地方は必要不可欠で、地方を大切にするべきだ」と述べている。
 まさに至言である。我が国の政治にとって地方はまさに人材の宝庫である。明治以降62人の首相のうち人口密集の大都会出身の政治家は人口比で見て極めて少ない。単純に多い順で山口8人、東京5人、岩手4人、鹿児島3人、大阪2人といった具合だ。首相の出ていない県は、兵庫、奈良、和歌山、鳥取で、その他の県は一人は出している。東京は戦後は菅直人しか出していない。大震災への対応を間違え、“偉大なる”鳩山由紀夫に次ぐ失政連発首相である。狡っ辛い大都市は、狡っ辛い政治家を生み、大政治家の養成に適さないのだ。従って格差を1倍などにしようものなら、東京や大阪、名古屋出身の馬鹿政治家ばかりが輩出して、我が国政界は手の施しようがなくなる。区割り理想主義は政治を壊すのだ。
 裁判官はこうした政治のイロハを身につけて、バランスある判断をすべきであり、「1倍」達成を意識した「無責任」判決を出してマスコミにはやされて悦に入っているときではない。従って、政治の対応は、昨年暮れの与野党合意に基づく「0増5減」で、格差を2倍以下に抑えることで十分だ。28日に政権与党は0増5減法案の提出と早期成立の方針を決める。野党もこれに賛同すべきである。判断力のない政党はマスコミの“顔色”を見て、方針を決めるが、民主党がその筆頭になりつつある。前副総理・岡田克也がはやくも0増5減に反対ののろしを上げている。正式な与野党合意を踏みにじってまでも、マスコミの顔色をうかがう姿勢は卑しい。自民党総務会長・野田聖子が「理想を言い出せば切りがない。限られた国会の日程の中でできることをしっかり果たす」と、述べている姿勢が正しい。
 ただ幹事長・石破茂の選挙制度改革に関する発言には引っかかる。比例30減の案についてテレビで「わが党が一番減る。それでもやるというのは自民党は変わった。自分たちがたとえ損してもやるという案は見識だ」と自画自賛している。何も知らない国民はだまされる。自民党案などは野党の反対で成立するわけがない。それを承知の上での発言なのだ。ぐちゃぐちゃになって、結局選挙制度審議会任せにする所が落ちだろう。石破や公明党がいつ本音を吐くかが見物だ。ぐちゃぐちゃになったあと必ず本音を吐く。おまけにここは定数減競争で、バナナのたたき売りをする場面ではない。格差の是正が求められているのであり、場当たり的な定数減とは基本的な方向が違うのだ。さらなる問題は自民党案が公明党優遇を狙って比例区1位への投票の一部をを2位以下に回すことだ。かねてから指摘しているように、優遇枠の設定は、「1票の価値の平等」という観点から憲法違反の疑いが濃い。まるで違憲判決に違憲選挙制度で対処する様相であり、誰が見ても噴飯物なのだ。石破は政治をごまかしてはいけない。
★俳談

◎切れの活用

たましひが先に近づく桜かな

 俳句の根幹は季語と切れである。季語は初心者でも分かるが切れとはなにか。切れとは俳句という短詩型に長文の詩並の広がりをもたらす技術である。切れが入ると一挙に余韻が生じ、俳句が散文調から離脱することが出来る。
 切れ字を掌握しなければ俳句は理解しがたいと断言できる。
 切れ字ですぐに浮かぶのは「や」「かな」「けり」である。
 古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉
の句があるが、ちなみにこの句を「古池に」としたらどうか。単なる散文と化して、駄句になってしまう。
 「古池や」と切ることにより、景色が眼前に浮かぶのである。
初心者に限らず、この、や、かな、けりを同時に使ってはならない。中村草田男に「降る雪や明治は遠くなりにけり」があるが、これは特殊な例。素人が真似できるものではない。また句の始めに「かな」、句の終わりに「や」を使うことも避ける。これは作ってみれば違和感が生ずるからすぐに分かる。
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